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[Re-Fort Project アーカイブ]下道基行
2011年3月5日(土)〜19日(土) 11:00〜19:00 日月曜日休廊 gallery αM (東京都千代田区東神田1-2-11アガタ竹澤ビルB1F ) http://shitamichi.exblog.jp/14353625/ この展覧会の一部の、2009年に皆既日食のとき、関門海の砲台跡から打ち上げ花火を上げた『Re-Fort5』の時に私は花火の参加者にだった。あのときあったこと、それが編集されて映像や展示になっているらしい。 私は展示はまだ見てないのだけれど、映像や販売されているパッケージも見たときに 何か違和感があって、それが何なのか、すぐに言葉にできないので、向き合いたいと思う。 これは、展覧会自体や下道くんを否定、反対しているわけではなくて、どこにでも起こりうる小さな違和感だと思ってる。2年前の事実を追求したいわけじゃない、でも下道くんたちが編集した(まとめた)ものは、何か違うような気がした。当時そこにいた私は、下道くんとはまた違う捉え方をしたんだと思う。戦争を知らない自分たちがそこで参加したことは、作家だけでなく、あのとき参加した私たちにとっても整理するには時間がかかる。あの違和感を花火を見ただけでは終われない。あそこから始まってたと思うんです。 文句があるなら展覧会を見てからにしてよ!って意見もあると思うんだけど、想像してみてほしい、何かしらの状況で参加したくてもできない人はいて、参加(その場の鑑賞)しないと発言できないのはおかしな話だと思うんです。あのとき花火をいきなり見せつけられた人も、参加した私たちも、いろんな人が発言すればいい。そういういろんな人がいる社会に作品は立ち上がっているはず。だから私は、展覧会はみてないけど、DVDの映像は見た。また、花火を目撃した人として寄せたいと思う。 そのコメントが歴史的にどうとか、専門的にどうとか、ではなくて、ここは私のブログなのでわたし的にどうだったかを表現します。 #
by jatanirie
| 2011-03-09 09:19
3月13日(日)15:00~23:00まで@大阪・中津にある空夢箱(そらゆめばこ)
この日だけオーナーの方が不在になるので、憧れの店番をしています。 カウンター席と古本があるので、1日限りの「スナック」と銘打って、 ウェイトレスと春にむけてゆっくり話でもしましょう。 去年もいろいろありました、今年はどうしようかな。 急なお誘いでごめんなさい! うまくいったらまた次どこかでスナックしたいと思います。 料理担当:椿や 小梅 ※その他、持ち込み企画や話題、大歓迎。 ※個人的な料理やお酒の持ち込みはご遠慮ください。みんなで食べれるなら大歓迎。 詳しい場所はこちらまで↓ http://sorayumebako.com/ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 関東・東北地方は地震で大変なことになっています。 テレビやついったーでは情報ばかりで、滅入ってしまうけど、 きっと彼ら彼女らの目の前はもっと過酷でそれでも冷静に戦っていると 思います。そこで、ここにいる私たちは何ができるのか、 一緒に落ち込んでる場合じゃない、やさしく、明るく、何ができるか考えよう。 #
by jatanirie
| 2011-03-08 14:01
コーディネーターという仕事を去年何度かした。コーディネーターって調整係っていう意味なんだけど、調整することで形になっていくならば、そんな役というのは悪くないもんだ。と思ってやっていた。で、今年に入って、コーディネーターとファシリテーターという役を仕事にやってる。今。ファシリテーターってうのは、wikiで調べると、ざっくり言えば会議の進行などを調整する役割となっていて、これはなんとなく同じ役かなーと思いながらやってみたけど全然違って、まあ、「全然違うぞ!この立場は!」と気づいたときにはもう時既に遅しで失敗をしてるわけで。失敗してわかったんだけど。。
そこで、じゃあコーディネーターってどんな役を担っているのかしらと、今の現場をみながら考えてみた。どんな振る舞いがファシリテーターも、小学校の先生もうれしいだろうか。このつなぎ手がコーディネーターだとすれば、何を求めるだろうか。図式にすれば分かりやすいのだけど、何か相反(あるいは他者)するものの間にコーディネーターが存在していて、いわば翻訳する役になる。ファシリテーターはあくまでも、プレイヤー、相手側の中に入る人。相手の陣地に入る前に、その相手側といい対立関係にするのが、コーディネーターじゃないかなーと思ってます。宣誓布告!でもいいし、あなた側にいいことあるかも!でもいいし、きっといろんな対立関係があって、一番いけないのはその状況にかってに土足で入って、やりたいことやって去っていくことなんじゃないかな。戦略としてはありかもしれないけど、それならそれさえもコーディネーターは翻訳しないといけない。それで、ファシリテーターはようやくひと仕事ができる。これはファシリテーターに限らず、アーティストもそう。アーティストってのは、このあたりの役目を全部できちゃう人もいればできない人もいるので、どっちがいいとか悪いとかじゃなく、その人がそんな性格かどうかを見極めないといけない。 今、やらせてもらっているのは、こどもとアートがある環境(状況?社会?)をつくろうとしてる。で、これは私が全部をまかなうようにつくるんじゃなくて一つの提案として希望をもって呈示したいと思ってます。私だけしかできないことをするんじゃなくて、ちょっと工夫をすればあなたの目の前でもできるような。そういう大人の勉強会だったり、実践する中での小さな発見みたいなものが断続的に形にできればと思っています。何せ言葉から入るのが苦手だし、これがどういう作用があるのかは、手を動かしてみなとわからないので、一通り思いついたことはやっていこうと思っていて。それを最後は言葉にしようと思ってる。その言葉は美術専門だけじゃなくて、教育者や育児、いろんな人が、あれがなんだったのか、言葉にしたものを集めたい。でも広く触ってもあれなので、細かいことは後で考えたとして。 さて、こどもとアートがある環境(状況?社会?)とは、どんな姿なんだろう。企画者=作り手だけが頑張る時代でもないと思っていて、参加者=受け手が、どこまで参加レベルをくれるか、そのレベルの段階をどこまでつくれるか、試したいと思っています。ここにいない人もいるわけですよ、実際。ついったーやブログで、リアルに目の前の見えてる人たち以外にも「ここにいる!」と叫んでる人はいるわけで、その奥まで、どうやったら届くもんやろかな、手をいれたいところはどん欲ながらどこまでも深い。また、それらがどのように存在してるのがいいだろう。常にセッションする関係でありたい。電車であの人がここに座るなら、私はこっちに座ろう。みたいな、お互いをなんとなく意識しながら過ごすような。ここにいるのに居ないフリなんてしたくないし、見てみぬフリしたくない。それは常に、見慣れた感覚のものだけでなく、そういう意味での緊張感を持った不安定さを保って、いろんな感覚を持った人とセッションして、外したり、ズラしたり、裏打ちする風景をイメージしています。そんなん言いながら、今思ってる考えは、さまざまな先人が似たようなことやってたり、失敗したりしてるのであれば、勉強したい。そして今のやり方にしたい。これらを一気にできる魔法は信じてないから、一歩一歩少しずつ大切にやっていこうと思う。手法がいかにあたらしくて実用的かが重要ではなく、その感覚をともに目撃し、共有することが大事。というわけで、ようやく第一章が始まります。 #
by jatanirie
| 2011-03-05 22:40
春になったら、新しいまちで過ごすことをイメージしてる。
去年やったゲストハウスのプロジェクトを、今度は知らない町でゼロからつくりたいと思って、三宅くんといろんな町を探しまわっている。ゼロからつくるというのは、エコに原始的に過ごしたい!っていうことではなくて、大阪で生まれてようやく自立というか、自分が立っている場所がやんわりわかってきたときに、そこにずっと居たくないなって思って。こう、埋まったりあてはまってしまうのを避けようとする性質があって、どこまでいけるかをこの目でいろいろ確かめたいな、と思って。うる星やつらのビューティフルドリーマーであたるが「好きな人をずっと好きでいるために、好きな人から自由になるんだ」というように、たぶん、大阪にいる人たちやまちを好きでいるためにその場から離れたいんだと思う。 全然自分のリンクしてるものがなにもない環境でゼロから、私のすきなものをあつめてみたり、つくったり、ことばにしてみたり、じっくり向き合える拠点にしたい。もしかしたら、誰かにとってはそこはムーミンみたいなどこにも存在し得ない妖精(もしくは神話)みたいなもので、でも、ちゃんと生活してて。こことそこは、地続きにつながっていて、だけどパブリックじゃなくて、個人的なちいさくてひろい世界。そこに誰かが遊びにくるような。 誰かが遊びにきても動じないような、振る舞い方や向き合う体力を持っていたいし、むしろ吸収してもいいなあ。そこには好きな作家の作品なんかも飾ってあって、お花を飾るようにいれかえたりもして。 そういう、自分の生活がつくりたい。みんなのための前に、自分の場所。それがはるか遠いところにあって、そこを拠点に移動して、旅して、また帰っていくような、渡り鳥みたいな生活をしたいと思ってる。 #
by jatanirie
| 2011-03-01 00:18
ひげが生えてしまいそうな予感。慌てて帰った夜、iPhoneを落としてしまい、画面に大きくヒビが割れた。これを機にiPhone4にしてしまおうか。デジタルカメラのレンズの中にゴミが入って画面がキレイじゃない。メガネのピントがあってない。髪型が中途半端にのびてる。ぱっとした洋服が欲しい。小さな仕事がたくさん残ってる。3月中に全部すっきりさせて、4月をまっさらな気持ちで迎えたいです。それまでひげが生えてでも3月を乗り越えようと思うよ。東京も行きたいんだけどなー。
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by jatanirie
| 2011-02-28 23:32
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